90番目の夜

音楽と脳の研究紹介や、文献管理ソフトの人柱報告などしています。

音楽の神経科学に関する論文集 番外編vol.2


先週は研究所の外部評価があり、教授たちによる評価委員会への報告が行われて
いました。海外から研究者たちを呼んで2年に一度行われるようなのですが、
ふだんはカジュアルな格好をしている人たちがジャケット姿だったのにちょっと
驚きました。それでも日本のようにスーツにネクタイとまではいかないのが
この国らしいというか(笑)


それはさておき、この前のTrends in Cognitive Scienceに音楽と感情の脳科学的な
研究についてのレビューが載っていたので、今回はこれを読んでみようと思います。


著者のStephan Koelschは元々マックスプランクでグループリーダーをしていた
のですが、このたびめでたくベルリンの大学に研究室を持つことができたようです。
関係ないですが、ドイツでは教授クラスにならないとパーマネント職にならないらしく、
准教授クラスでも任期付きらしいです。
(よほど下手をしない限りはそのまま継続雇用だと思いますが…)




Towards a neural basis of music-evoked emotions.
Trends in Cognitive Sciences, Volume 14, Issue 3, March 2010, Pages 131-137
Stefan Koelsch

音楽と感情の関係を調べることは

音楽によってもたらされる感情は、長調の曲は明るくて短調の曲は暗いといった
単純なものから、琵琶の音に物悲しさを感じ、ワーグナーの序曲に輝かしさを
感じるというように幅広く、また特定の文化に依存しない普遍的なものでは
ないでしょうか。また、最近広く行われるようになってきた音楽療法のような
臨床応用を進めていく上でも、音楽と感情の関係を明らかにしていくことは
とても有意義であるといえます。



音楽によってもたらされる感情とLimbic, Paralimbic Areas

音楽に感動しているときに活動の変化が見られる領域としては、Amygdala,
Hippocampus, Orbitofrontal Cortex, Parahippocampal Gyrus,Tempoal Pole
といったところが知られています。これらの領域はLimbic AreaとかParalimbic
Areaと呼ばれ、特にAmygdalaは音楽だけでなくより幅広く感情に関与する
脳部位として有名です。





音楽に感動して鳥肌が立つような感覚を感じることがあると思いますが、
この感覚は"chill"と呼ばれます。Blood & Zatorre(2001)では、鳥肌が
立つくらいに感動する音楽を聴いている最中、chillの大きさが大きいほど
Ventral Striatum, Anterior Insula,Anterior Cingulate Cortexなどの活動に
増加が見られ、逆にAmygdalaの活動は減少が見られました。


もちろんchillのときだけこれらの領域の活動が変化するわけではなく、例えば
楽しい音楽や調子外れの音楽、悲しい音楽などにおいてAmyygdala, Ventral
Striatum, Hippocampusといった領域の活動が変化することも報告されています。


Amygdalaは動物を用いた恐怖条件付けの研究などでよく調べられていますが、
この部位は一つでなく、いくつかの下位領域に分けられます。これらの領域の
機能的な違いについてはまだ良く分かってないのですが、pleasant/unpleasantな
刺激で異なる領域の活動が見られた、とする研究もあり、異なる領域は
異なる感情に関与している、という可能性が示されています。


面白いのは、感情的でないニュートラルな写真と一緒に楽しい音楽や怖い音楽を
聴かせると、音楽だけを聴かせるときよりもこれらの領域の活動は変化するようです。
ただ、実験参加者の音楽への感情的な評価は(当然ですが)写真のあるなしでは
変化せず、どうして脳活動だけが変化するのか理由はわかりません。
しかし、怖い音楽を聴くときに目を開けた場合と閉じた場合でAmygdalaの活動が
変化するという報告もあることから、音楽と感情の結びつきに視覚からの入力が
影響を与えることはあり得そうです。




音楽によって活性化する報酬系

多くの研究において、AmygdalaのほかにVentral Striatumも感情の影響を受ける
ことが示されていますが、注目したいのはこのVentral Striatum(特にNucleus
Accumbens(NAc))が脳内の報酬系を司る神経回路の一部であることです。


Menon & Levitin(2005)では、音楽によってもたらされる感情の変化を調べ、
NAcとVentral Tegmental Area(VTA)の活動のあいだに関連性を見つけました。
これらの研究は、楽しい音楽によって脳内の報酬系が刺激され、ドーパミン
よく分泌するようになる…という可能性を示しています。


報酬系においてNAcは、AmygdalaやHippocampusなどのLimbic Areasから神経の
投射を受け、また学習や行動に関与するBasal Gangliaにつながっていることから、
"Limbic motor interface"と呼ばれています。また、NAcへのドーパミン投与が
自律運動を促すことと合わせて考えると、楽しい音楽を聴いていると身体を動かしたく
なる理由は、音楽がNAcを刺激してドーパミンが分泌されるからかもしれません。



音楽と海馬

顔の表情や衝撃的な写真などと違い、音楽を使って感情を調べると海馬の活動に
変化が見られることが多々あります。海馬は記憶や学習を司る部位として有名ですが、
研究結果は必ずしも記憶の影響ではないことを示しています。


パペッツ回路は教科書に載るくらいの有名な情動系の回路ですが、この回路には
海馬が含まれています。海馬はAmygdalaやNAcとも連絡しており、また鬱患者や
PTSD患者の海馬には萎縮が見られることや、感情的なストレスによって海馬の
細胞死が増加することから、海馬が感情処理に関与している可能性はあります。




InsulaやAnterior Cingulate Cortexへの音楽の影響

音楽を聴くことは自律神経系の働きにも影響を与えることが知られています。
こうした自律系はInsulaやACCの関与を受けており、音楽を刺激とした研究では
これらの領域にも活動が見られています。InsulaやACCは行動のモニタリングなど
他の機能も持っており、はっきりした結果を示すにはもっと研究が必要ですが、
音楽が自律系に与える影響を明らかにすることは、音楽療法の効果を考えるときに
役に立つものと思われます。



まとめ

音楽を聴くことで気分的に盛り上がりますが、これに関連して脳内ではAmygdalaや
HippocampusなどのLimbic Areaの活動が見られます。またNAcやVTAといった報酬系、
そしてInsulaやACCといった自律神経系に関連した領域にも音楽の影響が見られる
ことから、研究を進めていく事で音楽療法などの臨床応用に役立つ発見も得られる
かもしれません。


音楽と感情の関係についてのレビューというのは意外に少なく、また研究自体も
楽しい音楽を聴かせて脳活動を測りました、というくらいのものがほとんどです。
確かに、音楽に感動することで脳のどこが活性化する、というのを明らかにする事
も重要ですが、みんなが最も興味を持っているのは、音楽の何が感情をゆさぶるのか
ということではないでしょうか。将来的にはそれを明らかにしていかないと単に
現象の説明に留まるだけでなかなか理解は進まないかもしれません。