90番目の夜

音楽と脳の研究紹介や、文献管理ソフトの人柱報告などしています。

音楽の脳科学に関する論文集 vol.59

気がついたら8月ですね…(遠い目)
さて今回は論文というかエッセイの紹介です。

Using science songs to enhance learning: an interdisciplinary approach
CBE Life Sci Educ. 2012 Spring;11(1):26-30.[Free article]
Crowther G.


小学生のころ九九を覚えるための歌というのがありました。
こんなやつ。


このように音楽を使って教育を行うことは、小学校くらいではけっこう身近ですが
大学生くらいになるとほとんど見ることがありません。このエッセイでは教育に
音楽を導入することの効果について、著者自身の経験を踏まえて述べています。




音楽が教育に影響を与える可能性:
1. 記憶を促進させる?
事柄を覚えやすくするため、いわば記憶術として歌を使うというのが一般的な
利用法だと思いますが、九九の歌に代表されるように、この方法はやはり記憶を
促進するようです。最近のレビューでは、ほかの記憶術と比べても音楽として
覚えた方が正確であると述べられています。音楽は感情も刺激するので、
そういった点からも記憶に残りやすいのかもしれません。


2. ストレスを軽減する?
科学の授業といえば白衣を着て実験をするといったイメージがありますが、
そうした普段とは異なる環境に置かれることで、学生がストレスを感じる
こともあるかもしれません。音楽には心拍や呼吸、血圧を下げる効果がある
ことが知られているので、そうしたストレス軽減の効果も、音楽を使う
ひとつのメリットとして挙げられるのではないでしょうか。


3. 複数の感覚を刺激する?
何かを勉強するとき、ただ覚えるよりも声に出してみたり自分で書いたりと
色々な手段を取った方が覚えやすいということがよく言われます。これは
覚えるときに脳のいろいろな場所を活動させた方が記憶に残りやすいだろう
ということなのですが、音楽も脳のいろいろな場所に活動を引き起こします。
(音楽をただ聴くだけでも、聴覚だけでなく運動に関連した場所が活動する
ことが報告されています)。この点からも音楽が勉強に良い効果を与える事が
期待できそうです。


4. より楽しめる?
私たちは楽しいことをするときは時間を忘れるほど長続きしますが、音楽を
使うことで勉強が楽しくなれば、必然的に勉強時間が増えることが期待できる
でしょう。実際に調べたところでは、音楽を使うことで授業が楽しかったと
いう生徒の反応が見られたようです。


5. 内容の深い理解につながる?
ある事柄を自分の言葉で説明する(writing to learn)ということが、その事柄の
より一層の理解につながることが知られていますが、自分たちでscience songを
作ることも、例えばどのような言葉を使って歌詞を作るかといった作業によって、
勉強した事柄を一層理解することになり、これと同じ効果が見られることが
期待できそうです。




実際の教育現場で見られる音楽の効果:
上で述べた仮説のいくつかについては、実際の教育現場でも実現可能だろうと
言われています。実際に検証してみた研究もいくつかありますが、まだ試行錯誤
というか予備実験のような段階で、きちんとした追試が必要だと著者は述べて
います。


音楽が教育に良い効果を与えることを明らかにするためには、どのような介入が
教育に効果を与えるか、また何を測定すればいいのか、といった方法の面について
洗練させる必要があります。測定するものについては、例えばどれだけ九九を
覚えられたかを九九の歌を使う群と使わない群で比較すればいいでしょうが、
もっと複雑な概念理解における音楽の効果を調べるといった場合については、
気をつけないと結果の解釈を間違う可能性もあります。


とはいえ、面白い研究もいくつか見られるようになってきており、先に述べた
仮説の検証だけでなく、生徒のキャラクターと音楽との相性や、短期的な効果
だけでなく長期的な効果についても調べる価値はあるでしょう。ただ研究方法に
ついて言えば、一人の教師がある特定のクラスを対象とした研究が多いので、
実験デザインに含まれるバイアスを除くためにも、複数の教師によって大勢の
クラスを対象として行った方がもっと正確に音楽の効果を調べられるのでは
ないでしょうか。


実践のために
実際に教育現場でどのように音楽を利用するかについては、単に面白い歌が
あると生徒に教えることから、生徒に自分で歌を作ってもらうことまで、
様々な方法があります。SingAboutScience.orgというwebサイトにはなんと
6000曲以上(!)の科学についての歌が登録されているようです。


では、特に音楽が効果的であるような教育のトピックはあるのでしょうか。
著者は、概念的な誤解や情報が持つ階層構造がつかめないといったときに
音楽が効果的だと考えているようです。そういった状況になったときに
歌を歌ったりあるいは自分で歌を作ったりすることで、それまで自分で
理解したと思っている概念などを新しい視点で見ることができ、理解が
深まるのでしょう。


1. 別の誰かが作った歌を使う
音楽を使って教えるためのアドバイスは、すでにいくつかの論文で示されて
います。著者自身が音楽を使う理由としては、教える内容について興味を
持たせるためや、何か特別に重要な事を生徒に覚えさせるため、また個々の
生徒たちに疎外感を与えないため、そして優秀な生徒を逃がさないためと
しています。


2. 生徒に自分たちで歌を作らせる
スタンフォード大学にはヒップホップで生物学を教える先生がいますが、
彼の講義などは実際に学生に歌を作らせる際のヒントとして使えそうです。
彼は学生に対して自由に言葉を言わせるフリースタイルという方法や
"alphabet method"(アルファベットで韻を踏ませることでしょうか?)
などいくつかの方法を使っています。



自分で歌を作らせる中で最も楽しい段階は、歌詞にメロディをつけるとき
でしょう。ヘンな組み合わせもそれはそれで面白いですが、やはり真面目に
科学的なメッセージをうまくメロディに乗せることを考えるべきです。
「Here Comes Science」というCDには、様々な工夫をこらして歌詞の内容
と音楽とをマッチングさせた曲がたくさん入っています。


さすがに学生の作る音楽はパッとしないものがおおいですが、それでもたまに
素晴らしい作品が出来上がることがあります。こうして作られたものは、
授業で歌うだけでなく、文字通り"take-home message"となって、学生は
家に帰ってからも何度でも歌うようになるでしょう。




音楽による教育に対する障害
音楽を教育に使うとしたら、最近の曲を使うのもいいかもしれません。
しかしこれは著作権の問題が絡んできます。アメリカの著作権法では、
別の歌詞に変えた曲については授業においてだけ使うなら問題はなさそう
ですが、授業以外で使うとなると問題がありそうな感じです。


また、学生それぞれの音楽の好みが違ったらという問題もあります。
個々の学生のために別々のジャンルで音楽を作ってやる必要があるので
しょうか?著者は、可能であれば学生に自分の好きなジャンルで音楽を
作らせる方がいいかもと述べています。


さらに、学生の誰もが音楽的な才能を持っているわけではありません。
自分には才能がないと思っている学生には、歌を作らせても苦痛なだけ
かもしれません。これについては、例えばグループ学習のような形にして
役割分担をさせるとか、下手でもいいんだという雰囲気作りをするとか、
いろいろと考えられているようです。あと、出来た作品を評価する基準は
曲自体の良し悪しではないということを明確にしておくのも重要です。


その他にも、教師側の能力などいろいろな不安要素はありますが、
いくつかの研究では、初めて導入したときからいきなりうまくいった
という報告もあり、このやり方がすぐに広まるとは言えないにせよ、
秘められた可能性は大きいものと思われます。






というわけで、論文というかエッセイをご紹介しましたが、ネットを
調べてみると、イギリスのBBCがこうした企画に手を出しているようです。
Youtubeで「science song」などのキーワードで検索してみると質の高い
作品がいくつも公開されています。日本でもNHKとかやってくれませんかね。


最後に、とてもカッコいいscience songをどうぞ。