90番目の夜

音楽と脳の研究紹介や、文献管理ソフトの人柱報告などしています。

音楽の神経科学に関する論文集 番外編vol.1

新年あけましておめでとうございます。
ドイツで迎えた新年は爆竹と花火の嵐でした。
「ゆく年くる年」の静けさが懐かしい…


今年のここでの抱負は、時々はテーマを決めてレビューしてみる、と
いう事にします。三日(三回?)坊主にならないように。
というわけで、新年最初のレビューは絶対音感についてです。

1.絶対音感とは

絶対音感とは、何の手がかりも必要とせず、聴こえた音の高さだけに
基づいて音名を答えることができるという能力のことです。


音楽における音の高さには、440Hzや880Hzといった物理的な周波数での
意味と、ドレミで表される音階(クロマ)上の高さという二つの意味がありますが
絶対音感を持つ人はときにオクターブ上下の勘違いが見られることから、
音階上の高さとして音程を認識しているのかもしれません。


また、絶対音感は「ある」か「ない」かの二択ではなく、例えば特定の楽器音に
対してだけ持つ場合や、特定の音(例えばチューニングに使うラの音)だけに
持つ場合、またチューニングのずれた楽器のように特定の幅だけずれた
絶対音感を持つ場合なども報告されています。

2.絶対音感の獲得

絶対音感を身に付けるための特殊な訓練が必要という証拠はないですが、
音楽的な訓練を早いうちから始める必要はありそうです。先行研究からは、
9-12歳くらいをピークとして、音楽訓練によって絶対音感を持つようになる
人の割合は減少していくようです。また、大人になってから絶対音感を持つ
のは難しいようで、訓練によってある程度できるようになったとしても
しばらくすると忘れてしまうみたいです。


また、ウィリアムズ症候群自閉症といった発達障害を持つ人たちの中には
比較的遅い時期に絶対音感を獲得する例があり、絶対音感は成長過程において
獲得されると考えてもいいのかもしれません。


大人と子供に対して同じ様に絶対音感のトレーニングを1週間行ったところ、
子供のほうが大人よりも成績がはるかに良かったという研究も、絶対音感
獲得にはある程度の臨界期(critical period)がある事を示唆しています。


面白いことに、いくつか研究では赤ん坊が絶対音感に従って音に反応している
ような結果が見られるので、人間には生まれつき絶対音感が備わっているが
訓練をしなければ成長に従って衰えていくのだ、と考える人たちもいます。
しかし、赤ん坊に絶対音感はないとする研究もあり、必ずしもそうとは言えない
ようです。課題や刺激によって結果が違ってくる可能性は十分にありそうです。

3.絶対音感と遺伝

絶対音感保持者が生まれやすい家系というのはあるようで、同じ家系の中に
絶対音感保持者が複数見つかる確率は8-15%くらいあり、これは統合失調症
における〜9%と比べても引けを取らない多さです。また、他の民族と比べて
アジア人には絶対音感保持者の割合が高いということも言われていましたが、
どこで音楽教育を受けたかを考慮すると、必ずしもそうとは言えないことが
分かっています。


これらの事実は絶対音感の獲得に遺伝的な影響がある可能性を示してはいる
ものの、どんな遺伝子がどういう影響を及ぼすのかという事が分からなければ
あまり意味のない議論ではないでしょうか。

4.絶対音感の神経メカニズム

音列のピッチ変化を判断させる実験をすると、絶対音感を持たない参加者では
P300と呼ばれる脳波や、右前頭葉の活動が報告されることがあります。これは
音列の記憶にワーキングメモリが関与している事を示すと考えられていますが、
絶対音感保持者ではこうした脳活動があまり見られず、むしろ条件付けに関連
する部位の活動が見られる事があります。

さいごに

絶対音感それ自体は、学習によって獲得される音のラベル化能力の一つに
過ぎないと思います。動く物全てを「ブーブー」と言っていた赤ん坊が救急車を
「ピーポー」と呼び分けるようになるように、「高い音」「低い音」みたいな
大雑把なカテゴリーに分けられていた音が、学習によって「ちょっと高い音」
「ちょっと低い音」などより細かいカテゴリーに分けられるようになる、それだけの
事ではないでしょうか。時々「オレって絶対音感あるんだぜー」と言う人がいますが、
その裏に含まれる「オレってすごいだろ」的なニュアンスにどう返事をしたら
いいものか困ってしまいます。


適切な訓練を受けさせればもっと多くの人が絶対音感を持つようになるかも
しれませんが、絶対音感を持つ人の中には、相対的なピッチ判断が苦手な人
もいますし、メロディを転調させたときの異同判断は、絶対音感を持たない方が
簡単にできるという話も聞きます。また演奏中に大事なのは正しい音高よりも
むしろ共演者とのハーモニーではないかと思います。どんなに自分が正確な
ピッチを出しても、周りの演奏者と合わなければ意味がありません。
それは相対音感とも違うかも知れませんが、そうした和声感を感じられる方が
絶対音感よりもはるかに重要だと思うのですが…


参考文献

Absolute pitch.
Psychol Bull, March 1, 1993; 113(2): 345-61.
AH Takeuchi and SH Hulse


Absolute pitch: a model for understanding the influence of genes and development on neural and cognitive function.
Nat Neurosci, July 1, 2003; 6(7): 692-5.
RJ Zatorre


Absolute pitch: perception, coding, and controversies.
Trends Cogn Sci, January 1, 2005; 9(1): 26-33.
DJ Levitin and SE Rogers


最相葉月「絶対音感(文庫版)」 新潮社 2006年