90番目の夜

音楽と脳の研究紹介や、文献管理ソフトの人柱報告などしています。

音楽の脳科学に関する論文集 番外編vol.4

Music training for the development of auditory skills
Nature Reviews Neuroscience 11, 599-605
Nina Kraus & Bharath Chandrasekaran


今回は、先週のNature Reviews Neuroscienceに載った音楽教育と聴覚系の
発達についてのレビューを紹介していきたいと思います。


著者のNina Krausさんはアメリカのノースウェスタン大学の聴覚神経科学のラボ
を率いるPIで、聴性脳幹反応(ABR)を用いて音楽に対する反応を脳幹レベルで
測定した論文で有名です。一度このブログでも紹介したことがあります。




このレビューでは、音楽教育と音楽能力の発達、というだけでなく他の認知能力、
特に言語能力との関連性について書かれています。


まず、音楽教育によって音楽家の脳内では機能的構造的な変化が見られる、
というところから始まります。これは大脳皮質だけでなく脳幹レベルでも見られます。
こうした論文の多くでは、音楽経験(あるいは音楽教育を受け始めた年齢)との相関
が示されています。つまり、より幼い時期から始めた方がピアノ音への脳活動がより
大きくなる、といった傾向が見られるということです。



学習転移は起こるのか?

音楽教育によって生じた機能的/構造的な脳の変化は、ほかの認知能力に影響を
与えないのでしょうか。例えば言語は音楽と同じような特徴(ピッチやリズム、
音色など)を持ち、文法構造や感情を刺激する点など多くの共通点があります。
それなら、音楽教育が言語認知にも影響を与えたとしても不思議ではありません。


実際、音楽家は言語のピッチ変化に対する脳活動も大きいという報告や、語尾の
上げ下げの違いによる疑問文と主張文の弁別成績など、そうした考えを支持する
研究も見られます。またKrausさんのラボでの研究でも、音楽音だけでなく言語音
に対する脳幹レベルでの反応(ABR)について音楽経験による反応の違いが見られ、
音楽教育が少なくとも言語音の処理にも影響を与える可能性が示されています。


ちなみに、Krausさんたちは先に述べたようにABRを使ったわけですが、この反応は
刺激音の周波数を再現するという性質があるらしく、例えばある音を聞かせて
Frequency Following Response (FFR)という反応を測定し、それをそのまま
音声ファイルとして再生すると、元の音がそのまま聞こえてくるらしいです。




選択的な学習の効果

赤ん坊の泣き声和音を構成するうちの一番上の音中国語の四声、さらには
聴覚的な注意や記憶なども音楽教育によって向上するという報告があります。
しかし視覚的なものについてはあまり影響が見られないようで、こうした効果は
学習するものや学習方法に依存するようです。





規則性を見抜く脳

我々は、たくさんの人たちの話し声でにぎやかなパーティ会場でも知り合いの声を
正しく拾って会話する事ができます。これは、我々の聴覚系がノイズの中から
規則性のある情報を見つけやすいように作られているためとする考えがあります。


その情報は脳の高次領野において重要性に応じてそれぞれ重み付けがされ、
遠心性のフィードバックによって下位の聴覚系へ伝えられます。それにより、
その情報を含む音と脳活動との連合が強化されると考えられ、Krausさんらの
論文で見られる脳幹レベルでの音楽経験の効果は、こうしたフィードバック
回路の発達によるものだと解釈することができます。



実社会でのメリット

こうした特定の種類の音に対する感受性を音楽教育によって高めることには
どういうメリットがあるのでしょうか。


けっこうな数の研究が、音楽教育と言語関連の能力との間にポジティブな相関
を見つけています。例えば、外国語の音と文字との結びつきをつかむのが早い
また母国語でも音高の上下に敏感である語彙が豊富文章を読む能力が高い
などといった報告がされており、少なくとも日常生活に必要な言語能力について
音楽教育は効果があるようです。



教育への応用

音楽経験者と非経験者を比較した多くの研究から、音楽教育が効果を上げるのに
重要な4つの要因を見出すことができます。
1.音楽教育を受け始めた年齢
2.音楽教育を受けた年数
3.教育の質や量
4.素質
の4つで、もちろん4つ全て揃わなくても(素質がなかったとしても!)
音楽教育の恩恵を受けることは十分に可能です。


これまで挙げてきた音楽教育のメリットを考えるに、もっと多くの子供たちに
音楽教育を受けるチャンスを与えるべきだ、とKrausさんは主張しています。
学校での音楽の授業を増やすことが簡単で効果的な方法ですが、残念な事に
アメリカの学校では財政難や他の教科で学ぶ量が増えたことなどから、逆に
音楽に割く時間が減らされているそうです。



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以上このレビューを3行でまとめると、
音楽教育で脳は機能的/構造的に変わり、音楽だけでなく言語とか
ほかの認知能力も向上するというメリットがあるのだから、もっと
多くの子供たちに音楽に触れさせればいいのに、
ということです。


音楽経験の影響を調べた研究の多くは大脳皮質に注目している中で、
聴覚脳幹反応というかなり低次のレベルでの音処理過程での音楽経験の
影響を調べただけでなく、そこから高次領野からのフィードバック回路
での可塑性というメカニズムに目を向けたあたりが新しいところかなぁと
思うのですが、脳幹あたりの反応は本人の意識や注意といったものの影響は
ほとんどないらしい(眠っていても生じるくらい)ので、ふだんの脳幹での
反応にはそうしたフィードバックが強く影響を与えているとは考えにくいの
ですが、どんな性質のフィードバックがあり得るのか興味深いところです。